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【1947〜49/昭和22〜23年】
太平洋戦争終わる。
鶴橋の闇市最盛期、今の心斎橋より雑踏していた。よれよれの軍服姿の復員兵や真っ白の白米を炊いて売るのを日本人は横目で見ていた。だって米は配給品で横流しする余裕はなかったもの。大きな釜から上がる湯気と真っ白なご飯今でも印象に残っている。
終戦の混乱の時代にたばこ好きの父と刻んだままで紙と一緒に配給されたたばこを誰が考えたか奇妙なたばこ巻き機?!(でもきれいに本物みたいに巻けたんですよ)でせっせとたばこを巻いた。太くすると本数が少なくなるから細く巻き紙がなくなると英語の辞書の紙を切って巻いた。暗い裸電球の下で、、そのたばこを切らすと終いには郷里の鹿児島から大きなたばこの葉を何枚か送ってもらって刻み(これが大作業)吸っていたが辛くてきついと顔をしかめていた。
当時たばこの葉の横流しは厳罰で米の闇よりうるさかったからスリルの喫煙である。そんな父も肺ガンにもならず心臓病でなくなった!でも病中たばこを無理に止めさせて頑固な父がじっと我慢していたのを想い出すと可哀想なことをしたと思う。駅のホームの上から長い竿の先に針を付けて吸い殻を拾っていた人をよく見かけた時代である。私は恐らく明治維新以後最も日本人がバイタリテーを発揮し生き抜いていた時代だったと今でも思う。
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