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【1946/昭和21年】
当時父は民生委員などをしており,疎開してきた人たちの世話もしておりました。朝日新聞の特派員(と記憶しております)の奥様が姉妹で 疎開して居り,当時田舎では食べた事がない洒落た料理など作って戴いたり,幼かった私は綺麗なベレー帽(お古ですが)など戴いた記憶があ
ります。
エピソードと言えるかどうか分かりませんが,父が囲炉裏端でよく紙縒りを作り,キセルのらう掃除をしておりました。うっかりその場に居
合わせた時は、最悪でした。囲炉裏の灰を綺麗にならし,火箸で漢字を書き読んでみよと。読めなかったときや,書き順を間違えたりした時 には、何度も何度もやらされました。当時はそれが嫌で,父が囲炉裏に座っている時は,どんなに寒くても囲炉裏の前に座りませんでした。
今 は当時の父の厳しさも有難く思え、またみのりというきざみ煙草のパッケージを懐かしく思い出します。
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