代表 | 池田 正俊 |
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住所 | 台東区台東3-28-3 |
TEL | 03-3831-3027 |
都営大江戸線・新御徒町駅からすぐの南方面に佐竹商店街があります。
ここは江戸時代、秋田久保田藩主の佐竹氏の屋敷があった場所でした。明治維新後、屋敷はなくなり、明治17年頃から商店などが建ち並び始め、現在の商店街の原形になったといいます。
日本で2番目に古い歴史ある商店街の一角にお店を構える池田屋さんのご主人にお話を伺ってきました。
お店の創業はいつ頃でしょうか?
ご主人:私の祖父がここで生まれたのが明治40年なので、おそらくその頃にお店を始めていると思います。曾祖父が創業したので、私で4代目になりますね。
うちがお店を始めた頃にはもう佐竹商店街はありました。創業時は、金物や漆器を扱っていたのですが、当時、周りのお店は古着屋さんなどの衣類や着物のお店が多かったので、うちなんかは貧相な店だって、周りから言われていたそうです(笑)。
最初は漆器を扱っていましたが、時代とともに漆器も使われなくなってきて、日常で使われるプラスチック製品や日用品、家庭用品を扱うようになりました。
たばこを扱い始めたのはいつ頃でしょうか?
ご主人:戦後だと聞いています。これからはたばこがいいんじゃないかと、祖父が始めたようですね。
先週はちょうど商店街でハガキ絵展覧会というイベントがありまして、商店街のお店で買い物したレシートで抽選ができるんです。いつもたばこを買ってくれる常連さんがそれに合わせてカートンで買ってくれるんですよ(笑)。2カートン、3カートンと買ってくださるお客様もいらっしゃいました。
常連さんはよくご存じなんですね(笑)。佐竹商店街はイベントも多いのでしょうか?
ご主人:そうですね。一番大きなイベントは夏のサマーフェスティバルですね。8月の最終週の日曜日に行っています。
商店街の役員がゲームコーナーを設置して、地域の人にも出店してもらったり、役所の方に健康チェックみたいなものを出してもらったり、地域総動員です。商店街の理事長さんは70歳代半ばなのですが、佐竹商店街のミニ情報が書かれた垂れ幕をパソコンで作ったりするので、それをアーケードに吊すのを手伝っています。
私も役員なのですが、50歳代半ばで役員の中では一番若いことになっていますので、体を使って動く専門として働いています(笑)。
お忙しくしていらっしゃるんですね。ご主人がお店に入ったのはいつ頃でしょうか?
ご主人:私は20歳で学校を卒業したあと、4年間外で勤めて、すぐに結婚をして、店に入りました。なので、20歳代半ばからずっとお店を見ています。
父もまだ元気なので、お店には毎日来てレジのところに座って電話を取ったり、レジを打ったりしていて助かっています。母と私の妻と、あとは外商が少しあるので、それを叔父と私の弟とでやっています。
たばこの在庫は主に妻が管理してくれています。私よりも妻のほうが常連さんの銘柄をよく覚えていて、常連さんが店の前で自転車を降りたらもうたばこが用意してあるくらいです(笑)。
常連さんはそういうご対応が嬉しいでしょうね。それでは、ご商売を営む上で気をつけていらっしゃることは?
ご主人:お客様に飽きられないように、なるべく商品の品揃えに気をつけて、あとは丁寧な接客を心がけています。それこそたばこは、お客様の顔を見たらすぐに出せるくらいの気持ちで。
この間は、うちの父が高齢なこともあり、座ってレジを打つので、たばこの常連さんが「北海道に行ってきたお土産」といって、温泉の素をくださったんですよ。
お客様に気遣っていただけて本当に嬉しいし、ありがたいです。
周辺案内
佐竹家上屋敷・佐竹っ原跡
江戸時代、この付近一帯は出羽国久保田(秋田)藩の佐竹氏の上屋敷があった。明治になって佐竹氏の上屋敷や近隣の武家屋敷が撤去されると俗に佐竹っ原と呼ばれた。現在でも「佐竹」の名は商店街や通りの名で残されている。
台東区台東2~4丁目付近
都営大江戸線「新御徒町」下車徒歩5分。
鳥越神社
日本武尊が東国平定の折、当時白鳥村といった当地に滞在したことから、村民がその威徳を偲び白鳥明神として奉祀し、白雉2年(651)に創立したと伝えられる。その後、源頼義・義家父子が鳥越大明神と名付けた。
台東区鳥越2-4-1
都営大江戸線「新御徒町」下車徒歩8分。
編集後記
とても穏やかで丁寧に、お店や商店街のことをお話してくださったご主人。
趣味をお訊ねすると、エアショーを見に行くことだと仰いました。自衛隊の基地で戦闘機やアクロバット飛行専門のチーム・ブルーインパルスによる展示飛行を楽しみに先日は入間に行ってきたのだそう。そして、次は百里基地に行く予定だとか。
お話を聞いていると、航空祭はとても楽しそうで、かなり興味がわいてきました。楽しいお話、ありがとうございました!